突然ですが、私は剣道をやっています。でもそのせいで一昨年、桃太郎と戦国時代のブログを書いたのではありません。また子供の頃からずっと、という訳ではなく、ほんの4年前からになります。きっかけは息子2人が習い始めたことでした。まさに40の手習いで始めたので、最初はきつくて仕方がなかったのですが、毎週1回、今や「NO残業デー」に退社する際の楽しみとなっています。自分は週1ですが、息子たちはほぼ毎日ですから、稽古の量は彼らのほうが多いです。時には私のほうがアドバイスをもらうようなこともありますが、同じ目線で互いに研鑽する剣友として、親子の会話を重ねる共通の関心事となっています。

子供たちを剣の道に入れたことで良かったと思うことは、他にもあります。それは姿勢が良くなったことと、礼節が身に着いたことです。もちろん、今や小学校高学年と中学生ですから、すっかり生意気な口を利く年頃にもなりましたが、基本の部分では年長者に対する礼儀はしっかりと守り、同級生や年下の子供たちに対しても心根のやさしい芯が育っているのが判ります。

剣道に限らず、柔道、弓道、合気道など、すべての武道は「礼に始まり、礼に終わる」ことにおいて、同じ価値観を共有していると言えます。弱い心に負けず、日々鍛錬を積むことで、本来ならば対立する相手とも「和を以て貴しとなす」こと。またそのためには、時に単調で面白くないと思えることでもひた向きに取り組み、稽古(指導)をつけてくださる相手の方には、年齢・性別・身分や人種の違いに関わらず、常に感謝の心を以て臨むこと。そんな毅然とした、それでいて自我のない澄みきった精神の境地を目指すことは、茶道や華道などを含め、「道」を冠するあらゆるものごとに共通することなのではないでしょうか。

そう考えた時は、私はふと思いました。もしかすると、「報道」という仕事も、武道や茶華道と同じ仲間なのではないかと。「剣の代わりにペンをとる」というような表現は確かに以前から知っていました。ですが、言論の自由だとか、社会正義だとか、ともするとやや過激でエキセントリックなイメージを持っていた自分としては、本当の姿が、いやその心根が見えていなかったのかも知れません。思い返せば、行き過ぎた報道が非難の対象となった場合も少なくなく、昨今の偽ニュースの問題も含め、ペンはペンでも「諸刃のペン」であることは否定しようがないのでしょう。しかし、2014年7月から2年以上続いているシングルマザーや子供の貧困に焦点を当てた朝日新聞の連載特集や、米国の新大統領を取り巻く海外メディアの報道は、これまで私が持っていたイメージを覆すものでした。また、企業も自ら1つのメディアたらんと言われる昨今においては、「移民なしでアップルは存在しない」とのメッセージを社員に送ったアップルのティム・クックCEOや、「難民1万人を雇用する」と発表したスターバックスのハワード・シュルツCEOは、まさに #現代のSAMURAI を彷彿とさせる方々ではないかと感じずにはいられませんでした。さすが、アップル!あっぱれ、スターバックス*!

そんなメディアに情報を売り込み、企業やCEOの広報を担う私たち広報エージェンシーも、「報道」の良きパートナーとして、「広く報じる」ことを生業としています。「広報道」における報友と言っても良いかも知れません。ですが、この「報」という字について考えてみてください。良く考えたら、「報いる」とも読めるこの字を使うのは、ちょっと不思議ではないでしょうか。Yahoo!知恵袋には、似たような質問が実にたくさん載っています。「情報」という言葉についても、「情けに報いるという意味に由来する」という説も囁かれるくらい、この字の意味合いに想いを馳せるロマンティストの方は多いのではないかと思います。報道も、公報も、社内報も、「報」は「報せる(しらせる)」とも読みますので、「報いる説」が本当なのか間違いなのかは定かではありませんが、とは言え「知らせる」でもなく、「告げる」でもなく、何故あえて「報せる」なのでしょうか。訓読みの「知らせる/報せる」については、戦後の国語改革で当用漢字が定められたことの影響があるようですが、それだけでは戦前に2種類存在したことの理由や違いの説明にはなっていません。直感的には、単なる情報の「告知」ではないという点で、明らかに「広く告げる(広告)」こととは異なる世界を匂わせていることは薄々判りますが、だからと言ってどのように異なるのかは不明です。

実は最近気がついたのですが、この謎は、弊社エデルマン流の解釈で、以下のように整理することができます。ちなみに私たちエデルマンでは、片方の否定ではなく、この2つが交差する部分について常に考えています。

【縦軸】 広告/公告 = 広く/公に告げる = Talk at (一方通行に言いたいことを告げる)

【横軸】 広報/公報 = 広く/公に報じる = Communicate with (人々の関心事や問題意識を汲み取り、それに関わる情報や見解を述べ、またそれに対する反応や意見が起こるという双方向の連鎖)

情報が氾濫するデジタル時代と言われて久しいですが、2016年3月時点では、毎分43万件以上のツイートが発信され、300万件以上の投稿がFacebookで共有されています。それと同時に1億5千万通以上のメールが送信され、例えばNetFlixだけでも7万時間分の番組や映画が視聴されています。広告を多く打たないとほとんど認知を獲得できず、好意が購入に繋がりにくい。広告に対する信頼度も下がり、アド・ブロッキングも世界では既にかなり浸透して来ています。SNSだって、普通に投稿しただけではフォロワーに見てもらえないアルゴリズムになってきています。成果を求めるプレッシャーは増すばかりなのに、予算の削減も達成しなければなりません。もはやTalk at(一方通行に言いたいことを告げる)を軸にしたマーケティングのモデルは破綻し、過去の経験値という土台が脆くも崩れているのです。

対して、米国のアウトドアアパレルブランドREI*の#OptOutsideのような事例を見てみましょう。

ブラックフライデーの大安売りは、例年、列の割り込みや商品の奪い合いは当たり前で、時には10万円の大型テレビを求めて殴り合いのケンカになるとまで言われています。この習慣に対してREIは、「本当にそれで良いのか?せっかくの連休、アウトドアに出かけて大切な人と自然の良さを分かち合おうじゃないか」と賛同者を募りました。それは単に聞こえの良い広告ではなく、ジェリー・ストリスクCEOの号令と共に全店舗を休業し、出かけておいで!と従業員にはお金を支給し、オンラインショップでさえも発送をしませんでした。その徹底ぶりが、「自分も問題意識を持っていた。自分もこの連休はアウトドアに行く!」と共感に共感を呼び、瞬く間にメディアでもSNSでも話題となり、ついには他の企業も連休は休業の動きに追従しました。商品の話には一言も触れることなく、ここまで人々の心を震わせ、業界の長年の習慣を変え、世の中を動かしたのです。

このようなことは広報ならではのことであり、広告を打っただけではきっとできないのではないでしょうか。まさに”Communicate with”の発想で、「広く」人々の関心事や問題意識を汲み取り、やはりその想いに「報いる」こと。それこそが「広報道」の心根であり、修行半ばの広報SAMURAIの1人として私が目指す悟りの境地なのだと、信じてやまない今日この頃でございます。

*Edelman Client

エデルマン・ジャパン ストラテジー・ディレクター 宮崎陽介